「なぜ、目育士としてイノチグラスに関わるお仕事をされているんですか?」

先日眼鏡をつくりにいらしたお客様から問いをいただきました。


前記事の問いとはちょっと違う。

いやだいぶ違うかな。

深く感じたくてお返事にお時間をいただいています。


写真はいつかの名古屋で目育士仲間と。


東京を中心に全国で活動中。

感覚と感情と思考をつなぐセラピスト

innochi目育士のきたみさちです。



この問いをいただいて、ちょっとにやにやしたんですよね。

じぶんの中の、確かにあるけれどまじまじと見つめたことはないものに手をかける。

新しい問いはいつもわくわくします。


ここから先は、自問の軌跡です。


「なぜ、目育士としてイノチグラスに関わるお仕事をされているんですか?」

どうしてだろう?


目育士になるきっかけやこれまでの道のりをふりかえることは何度もあったけれど、いま、なぜしているのかを考えたことはなかった気がします。


長くなりそうな予感。

そういうのがお好きな方だけお進みくださいまし☆



ニッチにマニアック

その方は、ニッチにマニアックに生きたいのだと話してくれました。


そして、わたしのことを『ニッチにマニアックに生きる人』と感じてくれたのだそうです。


うん。その通りだと思います。

正直言って、なんで生活できてるのか謎ですもん。


側からみればギャンブルみたいな選択の連続でここにいるから。わたしが親だったら反対しかしないわ。



目育士になるまでは、いや、ここ最近までは、孤独感が常にありました。

なんとなく浮いているようなアウェー感。

今もないわけではないけど、ずいぶん変わったなと思います。


孤独感の背景はきっと複雑で、たとえば周囲との世界観のギャップだったり、温度差だったり。我ながらめんどくさい人間です。



納得しないと進めない

昔から納得しないと進めないんです。

高校時代の数学で、公式がなぜその式になっているのかに引っかかって動けなくなっていたくらい。(あのとき説明してくれた友人は非常に賢かったのね。今さらながら)



コミュニケーションはがっぷり四つ。

ダブルバインドに敏感です。


頭で考えている(心にある)ことと話していることが違う相手に、尋常でなく戸惑います。


違うかどうかは確かめられないことが多いんだけど、どうしても違和感が反応しちゃうんです。思考じゃなくて嗅覚的な。


言語情報よりも非言語情報を受けとる割合が大きいのだと思います。


場面によっては直接確かめちゃう。

対話的関係をお互いに望んでいればより深いつながりになるし、どちらかが対話を望まない、もしくは対話的関係を知らない時にはトラブります。


想像できるでしょ?



少しは大人になったのか、受け流すことや笑いに転じることも身につきました。

とはいえ、表面的に進むには大きなエネルギーを使います。


できなくないけど、、やりたくない。

無理がくる。飽きちゃうし。



完コピ

話は変わって、前記事で目育士(現カラーサポーター)になるまでを書きました。

その後度ありのイノチグラスをつくる目育士になるわけですが、当時わたしは眼鏡のドシロウト。


 

イノチグラスを開発したはいちゃんとも時々話すけれど、実はなにも教わっていないんです。2週間ただただ近くで見続けて、こっそり夜中に真似をしていただけ。


質問できるレベルにないから、なにを聞くこともできません。なにもかもわからない。できることははいちゃんの真似をすることだけでした。


でもそうしていると、だんだんみえてくるんですね。はいちゃんがなぜそこでそれをしたのか。そのイメージに触れられる。



そうやってわたしは眼鏡づくりを身につけました。大袈裟でなく野良なんです。からだで学びました。


あ!認定はしっかり受けてますよ!大丈夫!

0期目育士養成講座を2番目に合格しました!

危ない危ない。ふうー。

(ちなみに1番は大学仲間のしろちゃんこと白鳥さん)



それしかできない

いざ活動をスタートした野良目育士のわたしは、知識も技術も圧倒的に未熟でした。


そのおかげ?で、想像力と着想力が発動。

それから、お客様と目線を揃えることがいかに重要かを思い知りました。

なんとなくで眼鏡を作れるほど、技術がなかったんです。



そのひとがなにを感じているのか、どう見えているのか、なにが起きているのか、一緒に感じて考えて、対話を重ねて、教えてもらいながら眼鏡をつくる。

それしかできなかったんですね。

だからそれだけをやり続けました。今もです。



道と経済の合一

そうやって、まさに愚直に眼鏡づくりをしていたらお客様がよろこんでくれました。


わたしは、じぶんにできることだけを、それしかできないから、ただ必死こいてやってきたんですね。シンプルに、一緒に遊んで、一緒に感じて考えて。


そうしたらお客様がお客様を連れてきてくれました。

遠方に呼んでくれるようにもなりました。

2本目3本目と繰り返し来てくれました。


気がついたら数ヶ月待ちの予約状況になっていました。



わたしにはポリシーがあります。

それは『ダサいことはしない』ということです。


  • 相手を見くびらない。
  • 浅はかな正義を振りかざさない。
  • ごめんなさいとありがとうを伝える。
  • わかった気にならない。
  • 取り繕わない。
  • 信頼と敬意を持って関わる。


きっと他にもあるだろうな。浮かんだことを挙げてみました。

葛藤の材料でもあります。

やらかすことも正直あります。

それでも、ずっと大事にしていたいことです。



あるとき、道と経済の合一という言葉を教わりました。道とは、ありかた。

ともすれば相反するものを合一する、まさに目育士だなと身をもって感じています。



わたしは今、目育士であり、目育士の育成をするイノチグラス大学の代表でもあります。
『いのち輝く眼鏡』イノチグラスを提供する目育士が、『いのち輝く目育士』として道と経済を合一する。わたしが描いているヴィジョンです。



「なぜ、目育士としてイノチグラスに関わるお仕事をされているんですか?」

ひとことで言うなら「楽しいから」

イノチグラスのセッションは、生きていることを実感するんです。
ひととつながること、ふれあうこと、手をとりあうこと、共にいること。よろこび合うこと。

正直に素直に在る、純度を高める。それがよろこび合う絶対条件でした。
わたしにとってダメージの要因だった非言語情報を受けとる力も、想像力も、着想力も強みになりました。


しんどいことぎょーさんあるんですよ。こうみえて。

だけどやめられないだろうなあ、きっと。



わたしはスマートじゃないんですね。

目育士ってお仕事は、わたしがわたしで在ることが必要だったんです。

納得しないと進めないことも、ダブルバインドに引っかかることも、含めて。

自分が自分でいないと通用しない。



対話的関係には自分と相手の存在が不可欠です。

なんとなくきれいにでは成り立たない。必ず痛い目をみる。
わたしはそう感じています。


スマートじゃないから、わたしは目育士なんだと思います。

本気でいていい。じぶんのまんまで。
そうしていたら、びっくりするようなギフトがたくさんあるんです。



お客様も、目育士も、お客様の家族も、目育士の家族も、その先も、いのちが続いているんだよね。

それがうれしくて楽しい。満ちる。
イノチグラスも、目育士というお仕事もだいすきなんです。


まとまったのかなあ?笑

わたしが目育士としてイノチグラスに関わっているなぜ?は、こんな感じです。


今日はここまで。

読んでくださってありがとうございます。

また近いうちに。

きたみさち。


みたい世界の実現をサポートする眼鏡
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※目育士によってかかる料金が違います。

ご不明な点はお問い合わせください。


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